こんにちは。
市原工業㈱ 営業の岩田です。
過ごしやすい季節になりましたね。
秋のイベントもどこも賑わっている様子でコロナ後の世の中の心の揺り戻しを感じます。
今まで押さえつけられてきた人間の活動的な部分が勢いよく動き出している、そんな感じです。
今になって考えてみるとコロナ禍のビジネスへのインパクトはとてつもなく大きなものでした。
技術的にはとっくに可能になっていたリモートワークも一気に一般的になり、管理職ポジションの真価も問われることとなりました。
どれも昔ながらの慣習で移行できなかった事が、抗うことの出来ない新型コロナウイルスの大流行で普及した価値観だと言えます。
かく言う私も管理職の立場として「この職場にいる意味」というものに向き合う事が多かった気がします。
日々の業務に追われているとあっという間に時は過ぎますが、それに任せて大切と感じた事に向き合わないでるのはこの時代には命とりだと言えるでしょう。
同年代の知り合いの中にはコロナ期間中から社内の立場が一気に弱くなったのではないか?と不安を感じている人もいたりと、40代の中年の危機というものを自分も同年代もスグ身近に感じているのだなと思ったり。
しかし、やはりこんな時代だからこそ「この職場にいる意味」という問いは大きな意味を持っているのだと思います。
これは雇う側から言えば「この人に働いてもらう意味」ということになります。
あまり注目されない見方ですが、この先の『労働』を考える時にコレはとても大切な考えなのではないかと思います。
さらに私個人は日々の業務を消化することの早さや正確さだけではこの「この職場にいる意味」に対してコミットできているとは言えないのではないか?と考えています。
一見すると手際よく業務を行っている人でも、数年後に何かの変化をもたらしていなければその人がその職場で働いていた価値が見えないからです。
付加価値と言いますか、その人がいたからこそこの現場が変わった。このお客様と取引が始まったといった事がとても重要なのだと思います。
よく「我々は作業をしに職場に行くのではなくて成果を出しに行くのだ」と言われますが、その『成果』とは単に金額や時間といったことだけでは測れない長い期間の内に生み出された組織を前に進める取り組みのことも含めているのかもしれません。
日々の業務をこなす中で時間を捻出して生産性向上や効率化に取り組むのはとても大変な作業です。
特にその取り組みが狙ったような結果を出さなかった時はなおのこと・・・。
しかしそういった事の積み重ねが経験値になり最終的な結果に繋がるのであれば「千里の道も一歩より」ということなのでしょう。
「この職場にいる意味」と向き合う事は難しい事です。
こんな問いかけは脳への負担が大きいのです。
「楽はしたいが、それでは不安が増すばかり」
このアンビバレントな感情にどこかで折り合いをつけて中年なりの頑張りというものを見せていかないといけないのだと思います。
人類が労働に出会って長い月日が流れても、やれやれ、悩みは尽きないものですね。