私の生い立ち2|木製パレットや包装・梱包資材等から、輸送・物流の支援を!岐阜の市原工業株式会社。

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私の生い立ち2

私の生い立ち2

2019/2/22

包装・梱包・輸送についてお悩みの企業様必見!そのお悩み、市原工業が解決いたします!市原工業が提案するのは、包装・梱包面からの輸送・物流の支援です。『企業様から必要とされる会社であり続けたい・・・』そんな思いを大切にこれからも日々努力と精進を続けていきます。

代表の市原です。

なぜ私が、今の職業に就いたかを自分の経歴も踏まえ、前回の続きを書きたいと思います。

大学4年生になり、いよいよ就職活動がスタートしました。時は、昭和62年、いわゆるバブル初期でした。当時は、就職の協定などもあり、会社訪問解禁日は、確か9月か10月だったと思います。今は、インターン制とか、かなり仕組みも変わっているようですが、私の頃はOB訪問からスタートというのが一般的でした。自分の大学の卒業生に連絡を取り、お会いして、お話を聞く。その先輩が、リクルーターと呼ばれる方だと、実はそれが結構大切な一次面接の役割を果たすこともありました。私は、何か会社ドクター的な仕事に就きたいといった漠然とした思いで活動を始めました。大手広告代理店から銀行・証券、リース会社、50社近くOB訪問したり、説明会に行ったりしました。そこで感じたのが、やはり働いている方の生の声を聴くことが重要だという事でした。良い点ばかり強調されても信憑性に欠け、やはり厳しい点、先輩が辛かった点などを率直に聞ける企業に魅かれて行きました。

小さな経営コンサルティング会社などもお話を伺いに行きました。周りが大手企業に内定をもらっていく中、多少の焦りと、もう少し企業勉強してからとの葛藤の日々を送っていました。新入社員初のボーナスで100万円、そんな会社もあったように記憶しています。当時、家業は母が経営しておりましたが、私には、家に戻ることは考えず一生勤める会社を探しなさいと言われておりましたので、私なりに真剣に就職活動しました。今となっては、その経験がとても良かったと感じています。腰掛気分で就活をしても身が入らず、いろいろな会社の事もしっかり調べなかったと感じるからです。

最終的には、本社が名古屋にあり、転勤は伴っても定年間近には地元に帰って来たいという気持ちもあり、今はメガバンクになってしまいましたが、当時の都銀である東海銀行に就職を決めました。

次回は、就職してから、家業に帰るまでのお話をしたいと思います。

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